「エステル、早くはやくー!」
「待ってください、リタ」 授業と授業の間の休憩時間。 エステルは(自分的には)がんばって走っていた。 本当ならば、廊下は走ってはいけないのだが、今はそんなことは言っていられない。 移動教室。遅れてしまえば、何を言われるかわかったものではない。 意外と駿足なリタに追い付こうと必死に廊下を曲がったところで、何かやわらかいものにぶつかった。 「きゃっ」 持っていた教科書やノートが散乱する。慌てて拾おうと身を屈めたとき、初めて自分が人とぶつかったことに気がついた。 「ごっ、ごめんなさいっ!」 「ふふ、大丈夫?」 その姿に、エステルは思わず魅入ってしまった。 すらりとした長身に抜群のプロポーション。ひとつにまとめている蒼い髪も、おそらくさらさらなのだろう。 (綺麗な人です...) 伏せた目には長いまつげ。綺麗に整った顔立ち。 まさに『憧れの大人の女性』とは、こういう人のことをいうのだろうか。 「あら?」 彼女が何かに気付き、それをすらりとした細い指先で拾った。 以前リタにもらった、ちいさな赤い魔核(コア)。 「これは...」 「あ、それ。リタにもらったものです」 「リタ?貴女のおともだちかしら」 「はい。それ、リタが作ったんですよ」 「作った?これを?」 「エステルー!」 その時、リタが呼ぶ声に気付き、はっとした。 「ごめんなさい!私、急いでるんでした」 「うふふ、素敵なおともだちね。はい、これ」 散乱していた教科書と、そして手のひらに魔核を渡してくれた。 「ありがとうございます!それでは」 一度おじぎをして礼を言い、再びリタを追い掛けた。 やっぱり、笑顔も素敵な人だ。 できることならもう一度逢いたい。名前くらい聞いておけば良かったかなと、エステルは少しだけ後悔した。 なんとか滑り込みで間に合った授業も終わり、再び教室に戻る途中。 前を歩くクラスの男子の話し声が聞こえてきた。 「おい聞いたか?また魔導器の魔核が盗まれたってハナシ」 『魔導器』という単語に、リタがぴくりと反応する。 「はぁ?また!?先週、校門の灯りの魔核が盗まれたってのは聞いたけど...」 「今度は中庭の照明がやられたらしいぞ。あと図書館の暖房とか、音楽室の拡声器とか」 「まじかよ。いったい誰が...」 と、彼らは後ろを振り向いた。 向けられた視線の先には、リタ。 「...なによ」 「お前だろ、モルディオ」 「何がよ」 「すっとぼけんなよ。魔導器オタクのお前以外に、誰が盗むっていうんだ?」 「なんですって!」 確かに魔動器の実験はしている(実際、オタク呼ばわりされても反論できない) しかし、魔動器を盗むなんてありえない。 既存の魔動器は研究し尽くしているし、何より自分は魔動器を愛しているのだ。 そもそも盗んだ犯人は、その魔動器をどうするつもりなのか。 もし破壊しようものなら―― 「絶対に許さないんだからっ!」 リタの叫び声に、ユーリとエステルが瞳を丸くした。 もうすっかり日常となっている昼食会。 3人は寒空の下、ひだまりを見つけてそれぞれの昼食を広げていた。 「...どうしたんだ?アレ」 「魔導器ドロボウの疑いをかけられて、怒っているんです」 エステルはユーリへ、事の経緯を簡単に説明した。 「ああ、アレな」 ユーリも噂は耳にしていた。 魔導器に使用されている魔核は、最近は市場に出回っている量が制限されているため、たいへん希少価値が高くなっているものだ。 売り払って金にするために、どうせ誰かが盗んだというとこだろうとは思っているのだが。 「あー、もうっ。考えれば考えるほど腹が立つ。こうなったら、私が犯人捕まえるわっ!」 「ええっ!?」 リタの極端な話の展開に、エステルが思わず声をあげた。 「リタ、本気なんです?」 「本気よ。ユーリ、アンタも協力しなさいよ」 「はぁ!?何でオレが」 とんだとばっちりだ。めんどくさい。 しかし、熱くなってしまったリタを落ち着かせるのも、めんどくさそうで。 ユーリは頭を掻いて、拳を握っているリタを見上げた。 「だいたい犯人探すって、手がかりとかあんのかよ」 「ないわ。それを見つけるのがアンタの仕事よ」 「お前なぁ...」 「とか言ってる間に。さっそく怪しいヤツ発見」 「え?」 リタに言われて振り向くと、グラウンドの片隅に佇む人影があった。 その女子生徒はグラウンドの照明の下に立ち、じっと上を見つめている。 もちろんその照明も、魔道器にて動作しているもので。 「あ、あの人...」 見覚えのある姿に、エステルはぽつりと呟いた。 「なんだ?エステル。知り合いか?」 「いえ、知り合いというほどでは...。ただ、今日廊下で逢った人に似てるなって」 「じっと魔道器見つめてるなんて、絶対にあやしい」 エステルとユーリの会話も無視して、リタは目を凝らして彼女に釘付けになっていた。 その様子に、エステルは盛大な溜め息をついた。 「もう、リタ。そんなむやみに人を疑うものじゃないですよ」 「そうかもしれないけど、あんなにじっくり魔道器を見つめることなんて、ある?」 「でも私には、あの人がそんなことするようには思えませんっ。そもそも、証拠もないのに」 「『やってない』って証拠もないわよ」 「〜っ。わかりました。私、直接聞いてきます!」 「お、おい、エステル」 ユーリの制止も聞かず、エステルは肩で風を切る勢いで丘を降りていった。 「あの...」 「あら、さっきの」 声を掛けられて振り向いた彼女は、見覚えがあったのか、エステルの顔をみると微笑んだ。 やっぱり彼女は、廊下でぶつかったあの美しい女性だった。 もう一度逢えた感激をこっそり胸に秘めて、エステルは思い切って言葉を切りだした。 「あの、失礼だったらごめんなさい。ここで何をしていらっしゃるんです?」 「ふふ、ただの散歩よ」 「散歩?」 後ろに付いてきていたリタが訝しげな声をあげた。 先ほどの様子は、とても散歩をしていたようには見えなかったのだが。 「ちょっと、リタ」 「なによっ」 「まだ犯人と決まったわけじゃないですからね」 「わかってるわよっ」 わいわいとじゃれ合うようなふたりのやり取りをみて、彼女は瞳を丸くした。 「もしかして、さっき言ってたおともだち?あの赤い石を作ったっていう」 「そうです。彼女がリタです。...あっ、私、エステリーゼって言います。エステルと呼んでください」 そういえば、まだ自己紹介していなかった事に気付き、慌てて頭をさげた。 「私はジュディスよ。よろしくねエステル、リタ」 「はいっ」 「......っ」 挨拶の意味をこめた握手をジュディスとエステルは交わしたが、リタはそれを拒否した。 「リタっ」 エステルの声にも耳を傾けず、腕組みをしてぷいとそっぽを向いてしまう。 「もう、リタ...」 「どうやら私、嫌われてしまったみたいね」 「ごめんなさい」 「構わないわ。...あら?」 顔を逸らしているリタの向こう側に、もうひとり居るのに気がついた。 ユーリは自分に向けられている視線を感じて、ひょいと左手をあげた。 「よぉ、戻ってきてたんだな」 「お久しぶり。元気にしてた?」 「そりゃこっちのセリフだ」 とても初対面とは思えないふたりの会話に、エステルとリタはとても驚いた。 「えっ、えっ、ユーリとジュディスは知り合いだったんです?」 「ちょっと、何でそれを先に言わないのよっ」 「だって、聞かれなかったし」 「あ...アンタねぇ!」 その時、昼休み終了5分前を告げる予鈴のチャイムが鳴り響いた。 「エステル、戻るわよ。またギリギリになっても知らないから」 「えっ、まだ話の途中...」 リタはエステルの呟きも聞かずに、さっさと教室へと走りだしてしまった。 「あっ、待ってください、リタ!」 「エステル、ちょっとだけ良いかしら?」 「はい?」 ジュディスに手招きされて近寄ると、そっと耳打ちをされた。 「どう?構わないかしら」 「はい、ぜひ!さっそく今日の放課後にでも」 「よろしくね」 ジュディスの話にエステルはにっこり笑って応えて、そして慌ててリタの後を追いかけた。 丘のすそを横切り、やっとの思いで昇降口に辿り着いたころにはすっかり息があがってしまっていたが、そこではリタが自分を待っていてくれた。 ただ、機嫌はあまりよくないようで。腕を組み、柱にもたれて、リタは横目で視線を向けてきた。 「...何話してたのよ」 どうやら、先ほどジュディスが自分に耳打ちしていたのを見ていたようだ。 「気になります?」 「っ!べ、べつに」 背けた顔が真っ赤になっているのが解って、エステルは微笑んだ。 ようやく、この親友の扱いが解ってきたような気がする。 「夕方になれば分かります。早くしないと授業に遅れてしまいますよ」 「あっ、待ちなさいよ!せっかく待っててあげたのに!」 ジュディスの素敵な提案を思い出すと、放課後が待ち遠しくてたまらない。 あと2時間、早く過ぎてしまえばいいのにと、エステルは逸る気持ちをがんばって抑えた。 (2)へつづく。 |
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