放課後。 今日もいつものように、科学室へと向かう。 いつもと違うのは、手に持つカバンの中身。 そして、最近来るようになった来訪者のことを想い描く。 ひょんなことがきっかけで知り合ったエステリーゼ。 あの、きらきらとした翆玉色の瞳が印象的だ。 これまで、自分の実験は誰からも見向きもされなかったのに 彼女だけはすごい勢いで食いついてきた。 それから毎日、彼女は科学室を訪れている。 ずいぶんと物好きな人がいるものだ。 でも、悪い気はしない。 今日は、クッキーを買ってみた。 たいしたことはない、どこのコンビニでも売っている代物なのだが。 それでも、彼女はまた嬉しそうに微笑んでくれるだろうか....。 リタは期待を込めて、足早に廊下を駆けていくのであった。 特別教室は、少々へんぴなところにある。 元々広大な敷地に建つこの学園は、ひとつひとつの建物の間隔が広い。 基本的に授業がなければ使用されない特別教室は、放課後になると人もまばらだ。 そのおかげで、人に邪魔されず、自分は実験に集中することができるのだが。 しかし時々、不愉快な光景を目にすることがある。 人気のない場所に呼び出し、集団で取り囲んでいる。 もちろん、良い話をしているようには思えない。 弱い者を、自分の気に食わない者を見下す連中。 自分ひとりでは、何もできないくせに。 「.......馬鹿っぽい」 今日も繰り広げられるその光景に、リタは冷たい視線を送った。 入学当初は、自分もあそこに立たされていた時期があった。 囲まれるほうの立場で。 だが、何を見ても、何を言われても、冷めている自分がいた。 興味がないのだ。 こんなくだらないことに付き合っている時間があれば、実験をしていたほうがよほど有意義なのに。 いつものように現場を無視して、歩みを進めようとしたときだった。 集団の頭の隙間から、見覚えのある色が見えた。 淡い桃色。 リタは、我が目を疑った。 前にもこんな状況があったなと、エステルは遠くで思い出していた。 確かあの時はフレンがここにこうやって、壁を背にして立っていて。 しかし、今の自分と彼とでは、状況が違う。 自分を助ける存在もないし、自分の身を守るだけの力もない。 ただこうやって、うつむいて立つことしかできない。 どうして今、自分はここに居るのだろう。 あまり顔を知らない女子生徒たち。 自分に向けられている視線は、明らかに好ましくはないもので。 「ね〜ぇ、あんたって、どんだけおエライ様なわけ〜?」 「ホント。いつもフレン様に特別待遇受けちゃってさぁ」 自分が悪いわけじゃない。 でももしかしたら、自分が何か悪いことをしたのだろうか。 だが、何も言い返せない。 何と言えば良いのかわからない。 「何とか言ったらどうなの?『エステリーゼ様』」 どんっと肩を突き飛ばされ、壁に背中を打つ。 背中が痛い。 そして何よりも 言葉の傷が、いたい。 (あいつら.....) リタは外に出て、様子をうかがう。 気付けば自分は、ここにいた。 ここに来て、どうするというのか。 自分でも、訳がわからなかった。 (もしかして、あの子を助ける気...?) そんなことをして、何になるというのか。 そんなことをすれば、また目をつけられるのは自分だ。 (.......馬鹿っぽい.....) でも、足は動こうともしない。 前にも、後ろにも。 「そーいえばアンタさぁ、最近あの実験オタクとつるんでるんでしょ?」 「えーやだー。くら〜い」 あははは、と下品な笑い声が校舎に響く。 (!!) リタの背中に、冷たいものが走った。 彼女が責められている原因のひとつに、自分も含まれているとは。 (...やっぱり、あたしなんかと関わるから、あの子も...) 心の中に、黒い闇が忍び込んでくる。 この場から離れよう。 そう足を踏み出そうとした時。 「リタのことを、悪く言わないでください!!」 凛とした声が響いた。 その声に、リタが振り向く。 (エステリーゼ....!?) 「リタは何も悪いことはしてません!とてもすごい、素敵な人ですっ! だから、リタのことを悪く言うのは、やめてください!!」 瞳に涙をたくさんうかべて、必死に訴えている。 自分なんかのために...! 「....何コイツ。生意気」 「!」 パシィと音が響いて、エステルの頬に赤い跡が浮かぶ。 「ちょっとアンタたち!何やってんのよっ!!」 頭で考えるより先に、足が勝手に動いていた。 女子生徒が群がる中を目がけて飛び出す。 だが、すぐに行き先を塞がれて、この手は彼女に届かない。 「エステリーゼ!きゃっ!!」 突き飛ばされ、横に大きく滑り転ぶ。 (いた....) 身をかばいきれず、右腕に痛みが走った。 「リタ!!...ふぐっ!」 リタの元に駆け寄ろうとしたエステルだったが、後ろから布を口元にあてられ そのまま気を失い、ゆっくりと地面に倒れた。 「エステル!!」 手を伸ばそうとしたが、たくさんの足に行く手を阻まれた。 睨みつけると、たくさんの醜い笑顔たち。 「ちょっと痛い目にあえば、懲りてくれるかしら。ねぇ?」 くすくすと人を見下す笑いが、ゆっくりと迫ってきた。 黒い髪が、風になびく。 いつもはざんばらに括り上げている髪をおろして 木にもたれて、夕焼けを眺めていた。 「.....今日は、来ねぇな」 ユーリの呟きに、隣で寛いでいるラピードが大きなあくびをした。 転入してきてからというもの、毎日欠かさず会いに来ていた桃色の彼女。 それまで、自分に近づこうとする者は誰もいなかった。 かの、腐れ縁の親友を除いて。 なのに彼女は、何の曇りもなく、自分に笑顔をむけてくる。 『聞いてください、ユーリ。私、お友達ができたんです!』 (ああ。そーいや、そんなことも言ってたな....) それを聞いたのは、2、3日前だっただろうか。 もしかすると今頃、その新しい友人と会話に華を咲かせているのかもしれない。 「帰るぜ、ラピード」 「ワン!」 その光景を想像して、ユーリは顔に小さく笑みを浮かべた。 ひんやりとした床が、頬に当たっていた。 (......ここは?) 石の壁にかこまれた薄暗い部屋。 そこには、跳び箱やボールが積まれたカゴが雑然と並べてある。 ゆっくりと身体を起こそうとすると、右腕に痛みが走った。 「いたっ!」 驚いて痛みの元を見てみると、すり傷でうっすら血がにじんでいる。 おそらく、突き飛ばされたときにすりむいたのだろう。 「.....あの子!」 そして徐々に気を失う前のことを思い出す。 自分の名を呼んで、目の前で気を失って、そして....。 リタはがばっと起き上がり、周囲を見回した。 すると、さほど離れていない場所に、彼女が横たわっていた。 「ちょっと!大丈夫?」 呼びかけても返事はない。まだ気を失っているのだろうか。 その身体を抱き起こして、リタははっとした。 身体が、熱い。 呼吸も、幾分か乱れているような。 「やだ....、すごい熱....」 その額には、うっすらと汗がにじんでいる。 早くなんとかしなければ....! 用具室の扉が視界に入り、慌てて駆け寄る。 だが、開かない。 がたがたと音を立てて、思いっきり開こうとするが、その扉はびくともしなかった。 「誰か!誰かいないの!!ねぇっ!!」 扉を叩き音を上げ、大きな声で叫んでみるが、外に人の気配を感じることができない。 「....そんな」 自分たちをここに閉じ込め、夜を明かせというのか。 季節は冬。さらに、この石壁の部屋ともなると、底冷えするのは明らかで。 リタは寒さを少しでも和らげようと、体操用のマットを床に敷き、エステルをその上に寝かせた。 「でも、あたしたちがここに居ること、誰かに知らせなきゃ....」 だが瞬間、リタは目の前が真っ暗になった。 いったい誰が、自分たちを探しにきてくれるというのだろう。 転校してきたばかりの彼女。 友達を持たない自分。 もう暗くなっていく外。 こんな時間に体育用具室に来る人間は、果たしているのだろうか。 こんな自分たちを探しに。 愕然となりうつむいたとき、膝の上に眠るエステルが目に映った。 『リタのことを、悪く言わないでください!!』 あの時の言葉が蘇る。 彼女は、こんな自分をかばおうとしてくれたのだ。 あの時の彼女は、ちいさく肩が震えていた。 それでも、必死に、叫んでくれた。 「.......あたしが、守らなきゃ.....」 リタの瞳に、ちいさな信念の炎が宿る。 その時、制服のポケットに何かが入っていることに気がついた。 手で探ると、ちいさな石がひとつ。 「これ.....」 手をひらくと、それはきらきらとほんのり赤い輝きを発している。 自分が作った、魔核。 これを外に投げれば、誰かが気付いてくれるかも。 「いや、だめだ....」 所詮魔核は、魔道器がないとその力を発揮しない。 ただでさえ、不完全な魔核なのだ。 しかも、これを作りだしたということを知っている人間は、目の前にいる彼女以外誰も知らない。 「それでも....」 ここで諦めるわけにはいかない...! リタは窓に駆けより、鉄格子の小さな隙間に手を入れて、なんとか窓を開ける。 そして、手の中にある赤い石を、思いっきり外へ投げた。 (お願い。誰か気付いて....!!) ありったけの願いを込めて。 おねがい。 あたしは、この子を助けたいの! 誰でもいいから。 カミサマ...!! (3)へつづく。 |
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