近場での任務のため、遠征期間が短くて良かったと思ってしまったのは、騎士団隊長失格だろうか。 出発前、エステリーゼ様に抱かれてこちらを向いていたユーリの顔が脳裏から離れない。 あの哀しそうな声。 僕を見上げていた潤んだ瞳。 ああ...。早くユーリに逢いたい...! 城へと帰還した僕は、足早に中へと入った。 ポケットに、ちいさなプレゼントを忍ばせて。 自己満足だとは思うけど、どうしてもユーリにあげたくてつい買ってしまった。 果たして喜んでくれるだろうか。 浮かれた足取りで私室へと向かっている途中、廊下でエステリーゼ様を見かけたので声をかけた。 「エステリーゼ様?」
「フレン!お帰りなさい」 彼女は僕を見かけると、慌てて駆け寄ってきた。 どうしたのだろう。ひどく落ち着かない様子だ。 「どうかされたのですか?」 「それが...、ユーリの姿が見えなくなってしまって」 「なんですって!?」 思わず大きな声をあげてしまった。 想像もしていなかった出来事に、心臓の音が大きく跳ねた。 「い、いつからですか?」 「一昨日の夕方からです。夕食の時間になっても帰ってこなくて。それまではちゃんと戻ってきていたのに」 ということは、もう丸二日も戻ってきていないことになる。 そんな。1週間僕が居なかった間に...。 「フレンの部屋も、お庭も探したのですが、どこにも見当たらなくて」 彼女の瞳に、涙が浮かび始める。 「もしかして私、ユーリに何かしてしまったのでしょうか...。私...わたし...」 「落ち着いてください。とにかく、僕も探してきます」 錯乱しかけていたエステリーゼ様の両肩に手を置いて、なんとか落ち着きを取り戻させる。 彼女がこくりと頷いたのを確認してから、僕は城の中へと駆け出した。 「ユーリ!ユーリ!」 いったいどこへ行ってしまったのだろう。出かける前までは、あんなになついていたのに。 もしかして、愛想をつかされてしまったのだろうか。 いっしょにいた頃の様子を思い出して、僕は気がついた。 あんなにユーリの意志を尊重するなんて偉そうなことを言いながら、僕のほうがすっかり依存してしまっている。 本当にユーリの意思を尊重するつもりがあるなら、今こうして彼を探すことは間違っているのではないだろうか。 きっとあの部屋から出ていったのは、彼の意思だったのだから。 「フレン隊長。どうかしたのか?」 歩みが止まりかけていた時、後ろから声を掛けられた。 振り向くと、そこに立っていたのは、よく見慣れた人物だった。 「シュバーン隊長...」 シュバーン隊長首席。騎士団長であるアレクセイ閣下の右腕的存在。 そして、隊員たちの憧れの存在。 その彼が、なぜ今ここに...。 いや、そう思われているのは僕のほうか。 こちらへと近づいてくる彼への敬意を払い、右腕を胸の前に出し姿勢を正した。 「そんなに固くならなくてもいい。それより、こんなところで何をしているんだ」 「そ、それは...」 まずい。 思えば、随分と城の奥へと来てしまっていた。 通常ならば、騎士団員がここまで足を踏み入れることはない。すぐそこには、皇族の居住エリアが迫っているのだ。 かと言って、正直に理由は話せない。ユーリを飼っていたことがバレてしまう。 どうする...。 「フレン隊長」 低く静かな、だがその中に戒めの含まれた声色で名を呼ばれては、もう逃げ場もない。 この人にはきっと、薄っぺらな誤魔化しはすぐに見抜かれてしまうだろう。 僕は観念して、ゆっくりと口を開いた。 「じ、実は、猫を探していまして」 「猫?何故、猫がこのような場所にいるというのだ。この城では、外部からの侵入は考えにくいが」 「それは、その...。つい最近飼いはじめ...」 「フレン!」 ちょうどその時、廊下にエステリーゼ様の声が響いた。 「これは、エステリーゼ様」 シュバーン隊長の意識もそちらへと向けられ、彼女に対して敬礼をする。 助かった...のか? 随分と走ってきたのか、エステリーゼ様はすっかり上がってしまった息を整えてから顔をあげた。 「シュバーン。あの、猫を見かけませんでしたか?黒い猫を」 「エステリーゼ様も、猫を探しておいでなのですか?」 「はい、一昨日の夜から姿が見えなくて」 「なぜ城内に猫が?」 「それは、最近フレ...」 言いかけて、慌てて口を噤んだ。僕が苦い顔をしたのを、察してくれたのだろうか。 「最近、私が飼い始めたんですっ!ただ、私が不慣れなもので、我儘を言って世話を手伝ってもらっているんです。ね?フレン」 「えっ、ええ。それで今も逃げてしまった猫を探すのを手伝っていたんです」 「......」 疑うような眼差しが容赦なく降り注ぐ。今僕は、うまく笑えているのだろうか。もう、喉から心臓が溢れてしまいそうだ。 しばらくの沈黙の後、シュバーン隊長は大きくため息をついた。 「解りました。では、私も気にかけて見ておきましょう」 「えっ、いえ、シュバーン隊長の手を煩わせるわけには...」 「かまわないよ。捜し物は人手が多いほど良い。それに私はエステリーゼ様のためにするのであって、君のためではないのだが?フレン隊長」 もしかして、自分で地雷を踏んでしまっただろうか。 シュバーン隊長のお咎めからも逃れられて、僕とエステリーゼ様は再びユーリ探しに戻った。 一度は諦めかけた僕だったが、城の中で迷っているだけかもしれないというエステリーゼ様の言葉を信じてみることにした。 彼女は必死に探してくれているのに、僕が先に諦めてしまうわけにもいかない。 「ユーリ、ユーリ!」 静かな廊下に、僕と彼女の声だけが響く。 その時だった。 「どうかしましたか、フレン?」 「今...」 なんとなく、聞こえたような気がしたのだ。 それは微かな、ちいさな声だったけれど。 「ユーリ...?」 僕は隣の部屋へと駆け込み、耳を澄ました。 「.......」 お願いだ、ユーリ。 もし居るのなら、返事をしてくれないか。 そしてもう一度、姿を現してほしい。 もう一度、この腕で抱きしめさせてほしい。 「ユーリ...」 祈るような気持ちで、神経を研ぎ澄ませた。 「.........ぁ...」 「...!ユーリ!?」 「...にゃぁ」 確かに聞こえた。ユーリの声だ。 声の方へと歩みよると、部屋の隅にあるオブジェの裏側に、ちいさく丸まっている黒い姿があった。 「ユーリ!」 「にゃあ」 手を伸ばしてもユーリは逃げることなく、おとなしく抱きあげられた。 その毛並みは冷たくて、身体もちいさく震えている。 「よかった、ユーリ...」 もう、逢えないかと思った...。 ユーリの身体を温めるように深く抱きしめると、頬をぺろりと舐められた。 ざらりとした感触が嬉しくて、少し泣きそうになってしまった。 その夜。 「ユーリ。おいで」 名前を呼ぶと、ユーリはこちらを振り向いて、そしてベッドの上へ駆けあがってきた。 あれからいっしょにお風呂に入って身体を温めてやり、どうやら相当お腹も空いていたようで、ごはんもぺろりと平らげた。 今のユーリは、僕が遠征に出る前と同じようによく懐いてくれている。 2日間行方不明になってしまっていたのは、エステリーゼ様の言うとおり城で迷子になっていたのだろうか。 僕はユーリを抱き上げると、膝の上に乗せてやる。 「ユーリ、君にプレゼントを買ってきたんだよ」 「うにゃっ」 そしてそれを取り出して、ユーリの首へと付けてやる。 買ってきたのは、金色の首輪。きっと、この黒い毛並みに似合うと思ったから。 「うん。やっぱり、よく似合ってる」 ユーリは違和感があるのか、初めは不思議そうな顔をして、次に首をふるふると振った。 その度に、ちいさく鈴が音色をたてる。 これなら迷子になっても、すぐに見つけ出すことができるだろう。 「どう?ユーリ。気に入ってくれた?」 「にゃあ!」 どうやら気にってくれたらしい。 ユーリは返事をするように高く鳴いて、そして腕にすり寄ってきてくれた。 僕はその身体を腕に抱いて、ベッドに横になった。 ユーリはぽかぽかと温かくて、心地よい。 「ユーリ、ありがとう...」 首輪、気に入ってくれて。 僕のところに、戻ってきてくれて。 込み上げてきた愛おしさを抑えきれずに、僕はユーリにそっとキスをした。 「ウゥ...ゥゥゥゥゥ....」 「ゆ、ユーリ!?」 突然、ユーリが低く唸りだして、僕は慌てた。 そんなに僕のキスが嫌だったのか!?まぁ、ユーリは雄だし、男の僕からなんてのは嫌だったかもしれないけれど。 しかし、それにしては様子がおかしい。どこか苦しんでいるような。 「ユーリ、どうしたの?ユーリ!」 どうすれば良いのかも解らずに、それでもたまらず身体に触れた瞬間。 ぼんっ! 「えっ!?」 突然、変な煙が起こって、何も見えなくなってしまった。 勢いで吸いこんでしまい、激しく咳き込んだ。 やがて咳も落ち着いてきたころ、ようやく煙も落ち着いてきて、ユーリへと視線をやった。 「え.......」 瞬間、思考が固まった。 先ほどまでユーリが居た場所に、何故か男が、居た。 その人物も驚いたように目を見開いて、僕を見上げている。 だが、彼は僕と視線が合うと、ふわりと表情を崩した。 「そうか。お前だったんだな」 やわらかく微笑む彼の瞳から視線をそらせずにいると、彼はそっと僕の頭を抱き寄せて、口唇を重ねてきた。 いったい、何が....。 (4)へつづく。 |
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