僕はなかなか、目の前の現実を受け入れられずにいた。 この腕に抱いていたのは、確かに黒い猫だったはずなのだ。 普通サイズの。 なのに。 なのに。 今僕の目の前に居るのは、人間の男だった。 いや。『人間』というには語弊があるのか。 綺麗に整った顔立ちに、美しく長い黒髪。 しかし、その頭からは猫のような三角の耳が生えている。 透きとおるような白い肌を辿っていくと、身体の造りはまさしく人間の男のソレで。 なのに、黒いしっぽが生えている。 いったい、何が起こってるんだ!? 「あ、あのさ...」 混乱して固まっている僕へ、彼がちいさく口を開いた。
顔を見れば、なんとなく頬が赤くなっているような。 「あんま、じろじろ見ないでくんね?」 言われてはっとした。 今の僕は、全裸の男をまさしく押し倒している体勢ではないか。 しかも裸体を凝視して。 「ごっ、ごめん!」 慌ててシーツをかけて、彼の身体を隠す。 彼はそのシーツを引き寄せて、ゆっくりと身体を起こした。 「あ...の、キミは...?」 「ん?あー...」 なんとも間延びした声を出して、後頭部をぽりぽりと掻いている。 「えっと、お前がつけてくれた名前でいう『ユーリ』、だ」 「『ユーリ』はさっきまで猫...だったよね」 「ああ。これ、くれたもんな」 そう言って首元を指した。 綺麗な首筋に光るのは、確かに先ほど僕が『ユーリ』に贈った金の首輪。 すらりとした指先で鈴をはじくと、ちりんとかわいらしい音がした。 その仕草が艶めかしくて、思わず喉がごくりと鳴る。 いやいやいや!相手は男だぞ。 どうしたんだ、僕...。 頭を振って必死に煩悩を追い払い、質問を続けることにする。 「キミはいったい、何?」 そう言って、もう一度彼の姿に目をやった。 頭のてっぺんには猫のような耳。そしてお尻のあたりからは黒いしっぽ。 毛色はまさしく、猫のユーリと同じもののように見える。 偽物...ではなさそうだ。先ほどから、しっぽの先がゆらゆらと揺れている。 「オレ、獣人族なんだ」 「じゅうじん...?」 聞いたことのない種族の名だ。クリティア族ならここ帝都にも住んでいるため知っているのだが。 「知らなくて当然だ。ちいさな村でひっそりと暮らしてた...ハズだからな」 「はず?」 「記憶が、途切れ途切れにしかないんだ」 そう呟くと、ユーリは瞳を伏せた。 「なんかオレ、悪さか何かしたらしくってさ。呪いをかけられてんだ」 「呪い?」 「ああ。ホントなら猫の姿にも今みたいな姿にも自分の意思で変化できるハズなんだけど、元の姿に戻れなくってさ。 記憶も曖昧で、村の場所も帰る方法も解んねぇし。ただ...」 次に顔を上げたユーリは、どこか遠い目をしていた。 「呪いをかけられた時のことだけ、なんとなく覚えてる。誰かがオレに言ったんだ。呪いを解きたければ.......」 そこで言葉が止まってしまい、僕は不思議に思ってユーリを見た。 「ユーリ?」 「えっと...、その....」 彼は何故か顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせている。 首をかしげて彼の様子を眺めていると、やがて意を決したのか、早口でこう言った。 「呪いを解きたければ、う...『運命の人を探せ』って...」 「え...」 うんめいのひと? 呪いを解くというのは、というか、呪いが解けた状態が今の彼の姿ということか? それって、もしかして...。 ユーリは固まっている僕をちらりと横目で見ると、こくりと頷いた。 「たぶん、そだと思う。エステルとキスしても、元に戻んなかったし」 「エステルって...、ええっ!君、エステリーゼ様とキスしたのかい!?」 「ちっ、違う!決してオレからしたわけじゃねぇ!!『ユーリかわいいです、ちゅっv』ってなカンジでされただけだっ!!さっきのお前だってそうだったろ」 確かに。 改めて思い返すと、我なら恥ずかしい。 「なぁ...、やっぱオレ、変か?」 「え...」 「猫のまんまだったら、お前だって構わないだろうけど、獣人だとやっぱ迷惑...だよな」 そう言われて困惑した。 迷惑というか、今は目の前の現実を受け入れるのに精いっぱいで、これから先のことなんて想像もつかない。 返事もできずに視線を泳がしていると、ユーリがぽつりと語り始めた。 「オレさ。早く元の姿に戻りたくて、ずっと探してたんだ。運命の人ってヤツ。だけど猫のまんまじゃ自由も効かねぇし、魔物から逃げるのに精いっぱいで」 ふと、初めてユーリを見つけた時を思い出した。 傷を負った身体で、雨に濡れて気を失っていたユーリ。 いったいそれまで、どんな過酷な道を歩んできたのだろうか。 「お前には、すっげぇ感謝してる。傷の手当てだけじゃなくってメシもくれるし、何たって、こんなプレゼントまで貰っちまったし」 ユーリが首輪に触れると、また小さく音を奏でた。そのユーリの表情は、本当に嬉しそうで。 「この姿に戻れた時、思ったんだ。相手が、お前で良かったって」 そしてふわりと笑った瞬間、僕の心臓が大きく鳴った。 ああ、この感覚は...。 「そ、ゆ...君こそどうなんだい。その『運命の人』というのが僕みたいな...しかも男で、君のほうこそ迷惑なんじゃないのか?」 最後に問うと、ユーリは瞳を丸くして、そしてまた蕩けるような笑顔で微笑んだ。 「そんなことねーよ。運命の人がお前で、すっげぇ嬉しい」 猫の姿だった時と同じのアメジストのような瞳から、もう目が離せなくなってしまっていた。 僕はゆっくりと手を伸ばして、その身体を抱き寄せた。 「フレン?」 「ユーリ。僕と一緒に暮らそう」 そう呟くと、ユーリの耳がぴくりと動いた。 「オレ、ここに居てもいいのか?」 「ああ。そばに居てくれ、ユーリ」 キミが『人間』であろうとなかろうと、構わない。 それよりも僕は、もっと大切なことに気付いてしまった。 初めてだったんだ。 恋に落ちた瞬間を、自覚したのは...。 |
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