動物というのは、本当になごむものだ。 今まで自分で動物を育てたことなんてなかったため、改めてその感動を思い知る。 ぴちゃぴちゃと音を立てて目の前のミルクに夢中になっている姿も、本当に可愛い。 「おいしいかい?ユーリ」 声をかけると、顔をあげて「にゃあ」と返事をしてくれた。 そしてすぐに、またミルクへと顔を戻す。 黒い猫なのに、今は口のまわりが真っ白になっている。 あまりに必死で飲むから、鼻の頭に滴がたまったりして。 ああ、本当にかわいい...。 「『ユーリ』っていうんです?その子」 様子を見に来てくださったエステリーゼ様が、ちいさく首をかしげた。 「ええ。...おかしい、ですか?」 「いいえ。とっても素敵な名前です」 微笑んでくれた彼女にほっと胸をなでおろして、僕も笑った。 綺麗で艶のある真っ黒な毛並み。そして印象的なアメジスト色の瞳。 そんなユーリは、今はすっかり元気になっていて、こうして差し出したミルクもきちんと飲んでくれている。 すっかり空になった皿の前で、ぺろぺろと手のひらを舐め、口のまわりを綺麗に毛づくろいしていく。 いつまで見ていても飽きない。 やっぱり、かわいい。 「フレン。この子、これからどうするんです?」 放っておけばいつまでも見ていそうな僕を察したのか、エステリーゼ様に声をかけられた。 「どうする、とは」 「その、このままフレンが飼うんでしょうか。それとも、元々住んでいた場所に返してあげるんです?」 「それは...」 それは、少し前から自分も抱いていたことだった。 いったいどうするのが、ユーリの為になるのだろう。 ユーリは年齢は解らないものの、子供というわけではなさそうだ。それなりに身体も成熟している。 やはり産まれ育った場所へ返すのが、この子にとっても幸せなのだろう。 しかし、僕がユーリを見つけた時は怪我をしていたのだ。このまま返してしまうのにも、不安を感じる。 少し考えた後、僕はひとつの結論を導き出した。 「それは...、ユーリの意思を尊重したいと思います」 「ユーリの意思、です?」 「はい。猫は気ままとも言いますし、出て行きたいと思うならいつかは出ていくでしょう。それまでは僕が面倒をみてあげようかと。ただ...」 「ただ?」 「僕もずっと城に居るわけではありません。任務で遠征も度々あります。しかし、ユーリを連れていくわけにもいかないし...」 「でしたら、フレンが居ない時は私がユーリの面倒を見ます。いえ、見させてください!」 嬉々として、両手をぽんと叩いた。 「エステリーゼ様。よろしいのですか?」 「はいっ。あ、でも、ユーリがよければ...ですが」 そう言ってユーリを見た彼女につられて、僕も視線をそちらへ向けた。 ユーリは相変わらず毛づくろいに熱心で、その艶やかな毛並みは光を反射して輝いているようにも見える。 「ユーリ。もしキミが良ければ、僕といっしょに暮らしてくれないか?」 手を差し伸べると、ユーリは動きを止めた。 その手を見て首をかしげる。 澄んだアメジストの瞳が、不思議でいっぱいになっている。 ああ、そのしぐさもかわいい...! 思わず近付きたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢した。 ユーリの意思を、尊重するのだ。 果たして、近寄ってきてくれるのか。それとも背を向けて走り去ってしまうのか。 ごくりと喉を鳴らして、ユーリの行動を待つ。 ユーリは立ち上がって、ゆっくりとこちらへ歩きだす。 そして僕の指先をくんくんと嗅いだ後、顔をすりよせてきてくれた。 やわらかいひげが、手のひらに触れてくすぐったい。 これは『了解』と受け止めても、いいよね。 「ありがとうユーリ。これからよろしくね」 「にゃあ」 挨拶のしるしに頭を撫でてやると、ユーリはひと鳴きしてぴょんと跳び跳ねた。 「うわっ!」 急に顔にせまってきたのに驚いて、思わず尻もちをついてしまった。 だけどユーリは器用に肩に飛び乗って、首に絡むように全身をすりよせてくる。 「ゆ、ユーリっ。くすぐったいよ」 「ユーリも、とっても嬉しいみたいですね」 微笑ましい光景だとエステリーゼ様は笑って、 「私もよろしくお願いしますね。ユーリ」 同じように頭を撫でると、ユーリは嬉しそうに喉を鳴らした。 それから僕は、ユーリと暮らし始めた。 さすがに仕事中は連れて行けないため部屋に置いてけぼりなのだが、帰ると盛大に歓迎をしてくれる。 「ただいま、ユーリ」 名前を呼んで部屋に入ると、窓枠からぴょんと降りて駆け寄ってくる。 そしていつものように、ハイジャンプ。 初めは上手くいかなかったが、今ではちゃんとその身体を受け止められるようになった。 僕はユーリの背中を撫でながら、先ほどまでユーリが居た窓へと近づいた。 窓は、ほんの少しだけ開いている。おそらく僕が居ない間、外へ出かけていたのだろう。 「今日は寒かっただろう?ミルク温めようか」 話しかけると、同意するようににゃあと返事をする。 この子、ヒトの言うことが解るのかな? もしかしてそのうち、喋り始めたりして。 見下ろせば、よほどお腹がすいているのか、一生懸命に足元に全身を摺り寄せてくるユーリの姿。 なんてね。 そんなこと、あるわけないよね。 「お待たせ。さあ、どうぞ」 温かいミルクと、ユーリの食べられそうな夕食の残りを差し出せば、がつがつと食べ始める。 そんな姿を見ているだけで、心が穏やかな気持ちに包まれていくのが自分でも解る。 いつまでも、こんな生活が続けばいいのに。 と思ったのもつかの間。 「ユーリ、良い子にしてるんだよ」 「にゃあ」 さっそく、遠征が舞い込んできてしまった。 騎士団に所属している限りは絶対にあることで。しかも隊長の立場である僕が、行かない訳にもいかないわけで。 「すみませんエステリーゼ様。ユーリのこと、よろしくお願いします」 「はい。安心して行ってきてください。フレンもお気をつけて」 「ありがとうございます」 ユーリを飼い始めたときから解っていたことなのに。こんなに行きづらくなるものだったなんて。 「ユーリ、元気にしてるんだよ」 「にゃあ」 「エステリーゼ様の言うこと、ちゃんと聞いてね」 「にゃあ」 遠征に連れて行けたら、どんなに楽しいことだろう。 「あのフレン、もうそろそろ行かないと...」 「あ、はい。それじゃあね、ユーリ」 「にゃぁ...」 ユーリの声も、どことなく寂しげに聞こえる。 僕の勘違いかもしれないけれど。でも、もし本当にそう思ってくれているのだとしたなら、嬉しい。 最後にもう一度だけ頭を撫でてやって、僕は断腸の想いで背を向けた。 「にゃあ」 数歩のところでユーリの声がして、また振り向いてしまう。 「にゃぁ...」 「ユーリ...」 「にゃぁ.....」 待っててね、ユーリ。 遠征なんかさっさと終わらせて、早く帰ってくるから。 (3)へつづく。 |
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