日が暮れたころ、急に雨が降り始めた。 小雨で済んでほしかったと願ったのも虚しく、あっという間に地面に水たまりを描いていく。 任務も終わり足早に帝都へと戻る隊列が、徐々にその歩みを速めていた。 「ん?」 「どうかなさいましたか、フレン隊長」 馬を止めた僕に、副官であるソディアが声をかけてきた。 「いや...。すまない、先に行っててくれないか。すぐ追いつく」 なぜだろう。どうしても、あの茂みの向こうが気になる。 馬を降りて、そちらへと近づいた。 ソディアも、隊へ2、3言声をかけた後、同じように馬を降りて後ろから付いてくる。 茂みを掻きわけて、目を凝らして気配を探る。 やっぱり、何か居る。 後ろからカチャリと剣に手をかける音が響いたため、手の仕草でそれを制した。 地面に、何か黒い物体が横たわっていた。 雨でぼそぼそに濡れそぼった黒い毛並み。自分の身を守るように、ちいさく身体を丸めている。 ...猫? 「気をつけてください。魔物では」 「大丈夫だよ」 近づいても逃げ出す気配はない。そっと手を伸ばして、その小さな頭を撫でた。 かなり弱っているようだが、まだ温かい。 魔物に襲われたのか、怪我もしているようだ。 『聖なる活力よ、来い』 「隊長!」 広げた手のひらの前に一瞬術式が浮かび上がり、そして猫の身体を光が包み込む。 癒しの術で傷口は塞がったようだが、まだ目を覚ます気配はなかった。 このまま雨に打たれていては身体が冷え切ってしまう。いずれはこのまま...。 そう考えるとやるせなくなって、僕はその身体を抱き上げた。 「どうなさるおつもりですか?」 「このまま城へ連れて帰ろうと思うんだけど...」 「それが凶暴な魔物だったら、どうするんですか」 「大丈夫だよ。...たぶん」 いったいコレが本当に猫なのか、それとも知らない種類の魔物なのか解らないが、なんとなく大丈夫なような気がしていた。 一度決めてしまうと、なかなか意見を曲げることができない性分をよく知っているソディアは、僕に聞こえるように大きな溜め息をついた。 「わかりました。では早く城に戻りましょう。このままでは身体が冷え切ってしまいます。その子も、...貴方も」 呆れたような口調の中にも優しさが垣間見えて、僕は嬉しくなって笑った。 「ありがとうソディア。うん、そうしよう」 城に到着し、馬はソディアが引き受けてくれるという言葉に甘えて、早々に自室へと戻った。 慌てて棚からタオルを取り出し、腕に抱いた猫の濡れた身体を拭いてやる。 明るい部屋で見てもその毛並みは真っ黒で、カタカタと小さく震えていた。 「寒いのかい?どうしたものかな」 何か温めるものはないかと途方に暮れかけていた時、コンコンと小さくドアをノックする音があった。 「フレン、お帰りなさい。猫を拾ったと聞きましたが」 「エステリーゼ様」 隊の誰かからの噂を聞きつけたのだろう。同じ城に住むエステリーゼ様が部屋を訪ねてきてくれた。 彼女は僕の側へとしゃがみ、腕の中で震えている小さな動物を覗きこんだ。 「かなり弱ってますね」 「はい。一応、回復魔法はかけたのですが...」 エステリーゼ様はその頭を軽くなでて、そして自分の胸の前で手を組んだ。 祈るような仕草をした彼女が温かい光に包まれて、やがて術式が浮かび上がる。 自分が操るよりも強力な治癒術が、腕の中の動物へと降り注いだ。 やがて、辛そうだった呼吸が穏やかなものに変わり、そして身体の震えも止まっていた。 「ありがとうございます、エステリーゼ様」 ほっと胸を撫でおろして、彼女へ顔を向けた。 「いいえ、これくらいは。それよりフレン、貴方も着替えたほうがいいです」 「あ...」 言われてやっと気がついた。あまりに猫に気を取られ過ぎて、まだ雨に濡れた格好のままだったのだ。 くすくすとエステリーゼ様に笑われて、少し自分が恥ずかしくなる。 「お風呂に入って、身体を温めてきてください。そうでないと、この子がまた寒がってしまいますから」 「エステリーゼ様...」 「今日はいっしょに寝てあげてくださいね。あとは温かくしてあげれば、きっと元気になりますよ」 風呂から上がって、まだ身体がぽかぽかしている内に僕はベッドへ入った。 本当は、任務の報告書をまとめる仕事とかがあったりするのだが、それよりもこの子の事が気になってしょうがない。 エステリーゼ様が丁寧に拭いてくれたおかげで、濡れていた身体はすっかり乾いていた。 つやつやの黒い毛並み。さわり心地もとても良い。 そして腕の中で丸まって眠る姿を眺めていると、とても愛おしさが込み上げてくる。 「ねぇ。キミはどうして、あんな所に居たの?」 話しかけても答なんて返ってくるはずもなく。 それでも飽くことなく頭を撫でてやると、気持ち良さそうに腕に顔をすりよせてきた。 可愛い...。 そして、なごむ。 その穏やかな寝顔に、自分の方こそ睡魔に引き込まれていきそうだ。 また冷えてしまわないように、そっとその身体を抱き寄せた。 「そうだ、名前...考えないと...ね......」 腕の中のちいさな温もりにささやかな幸せを噛みしめて、僕は意識を滑り落とした。 (2)へつづく。 |
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