冬の空が夕焼け色に染まるころ。 ユーリはひとり屋上に居た。 ゆっくりと肺の中から息を吐き出すと、苦い味とともに紫煙が風に乗って流れていく。 その様子を、ただぼんやりと目で追って。 この時間だけは、何も考えなくてもいい。 そう思いながら。 「こら!」 「いてっ!!!」 突然頭上で声がしたと思った瞬間、脳天を激痛が走った。 あまりの痛さに、目尻に涙が浮かぶ。 誰だと思って顔を上げると、見慣れた白衣の後ろ姿が視界に入った。 「...なんだ。おっさんかよ」 「『おっさん』は止めなさいって、いつも言ってるでしょっ。『レイブンせんせv』って呼んで!」 「...別にハートマークは要らねぇ...」 化学教師のレイブン。ユーリの担任でもある。 頭をさすりながら低く唸るユーリを横目に、彼は懐から小さな箱を取り出した。 そして中から煙草を1本取りだして、慣れた仕草で火をつける。 大きく吸いこんで、溜め息のように一気に吐き出した。 「だめでしょ。煙草なんて吸っちゃあ」 「おっさんだって吸ってるじゃねぇか」 「おっさんはいいのよ。大人だから」 「...いいよな、大人は」 ユーリは低く呟いて、置いてある缶へと視線をやった。 指先で軽く煙草を叩くと、落ちそうになっていた灰がぱらぱらと缶の中へと落ちていく。 先ほどまで飲んでいたのであろう缶コーヒー。有名な銘柄の、ブラック。 (...甘いのしか飲めないくせに、意気がっちゃって) この可愛い教え子は、常に煙草を嗜んでいるわけではないことをレイブンは知っている。 ユーリがこういう行為に及んでいる時は、大抵何か悩み事を抱えている時だ。 しかも、飲めない缶コーヒーまで側に置いてあるなんて。 「どしたの青年。悩み事があるなら言ってみなさい」 「...べつに」 「そういえば『進路調査票』。まだ出てないみたいだけど?」 「.......」 思った通りの反応だった。無言の答は図星の証拠。 年末に配布した進路調査票。冬休み明けだった提出日は、もうとっくに過ぎていた。 「てきとーに書いて出しちゃえばいいじゃないの」 「そーゆーわけにも、いかねぇだろ?」 「...いつも宿題はてきとーなくせに」 「ソレとコレとは別なの」 「ふ〜ん」 誰もが一度は悩むところ。中には適当に書いて提出している生徒もいるというのに、 ユーリがここまで真剣に悩んでいるのには、正直レイブンも驚いた。 「青年は、将来何かやりたいこととかあるわけ?」 「あったら、今こんなに悩んでねぇよ」 それもそうかと、レイブンは無精ひげをさすった。 「だったら、エスカレータ乗りなさいよ」 「オレが?大学?」 「ユーリ君、実は頭悪くないんだから、難しい学部じゃなかったら楽勝でしょ。 それから探しても遅くないんじゃない?やりたいコト」 「.........」 「今慌てて就職したって、やりたいことも無いんじゃ、つまんない大人になるだけよ」 そう言ってレイブンは、ユーリが咥えていた煙草を取り上げた。 そして、黒色の缶の中へと突っ込む。 「あっ。何すんだ!」 「これも貰っとくわよ」 自分が吸っていた分も中へ入れて、空き缶を手にする。 ほとんど飲んでいなかった中身が、ちゃぷんと音をたてた。 「とりあえず明日でいいから、調査票はちゃんと出してね」 それだけ言い残して、レイブンは屋上を後にした。 「...いいのかよ。そんなテキトーで」 解決したのかしていないのか、何だか微妙な気分だ。 やっぱりあの教師自身が、テキトーなのではないだろうか。 「自分のやりたいこと...、か」 今の自分さえあやふやなのに、将来のことを考えろと言われても、まるで雲を掴むような話にしか聞こえない。 夢も希望も捨てた自分が、今さらそれらを抱くことを許されるのだろうか。 そしてしばらくして、自分の違反行為をレイブンがこっそり揉み消してくれていたことに気がついた。 |
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