フレン・シーフォは、軽い眩暈を覚えた。 くだらない奴の考えることは、いつだってくだらない。 軽く目を閉じて、ちいさくため息をついた。 私立ザーフィアス学園 高等部。 小・中・高・大学部と、一貫したエスカレータ式のこの学校は、 広大な敷地に最新の充実した施設が整っており、貴族の子供などがたくさん通っている。 だが、決して敷居の高い学校ではなく、若い理事長の粋な計らいで、 収入の少ない家庭-いわゆる庶民の子供たちも特別制度を利用して 安い学費で通うことを許されていた。 その日の朝も、大勢の生徒が登校してきていた。 白く息を弾ませながら、そこら中で挨拶が交わされている。 さまざまな人が共に生活を送る空間。 もちろん、皆が皆、仲良く手を取り合って....というわけにはいかない。 気の合う同士でグループをつくり、楽しい話題を見つけてはその中で共有する。 たまに、グル―プが他のグループと対立することもあるのだが...。 そんなグループにはどこにも属さずに、ひとり歩いてくる生徒がいる。 「あー、さみさみ」 長い髪の毛を適当にひとつにくくり、だが遅れ毛がざんばらに落ちている。 ユーリ・ローウェルはコートのポケットに両手を入れ、寒そうに背を丸めて歩いていた。 そして、傍らには一匹の犬。 彼に声をかけてくる者は、誰もいない。 しかし、当の本人はそんなことは全く気にしていないのか、だるそうに大きなあくびをひとつついた。 「ん?」 門をくぐった後に続く、ゆるやかな長い上り坂を進むと、途中に人だかりができていた。 ちょうど、掲示板のあたりだ。 近づくと、張り紙を見てきゃあきゃあと騒いでいる女子生徒がほとんどだということが分かった。 (なんだ?) 群れの後ろから、頭と頭の隙間に視線を飛ばし、話題の的となっているものに焦点をあわせる。 そこには、見慣れた親友の顔が載っていた。 「ああ、もうそんな時期が」 生徒会長選出選挙。 毎年、6月と12月に開催されている。 特に、この12月にある選挙は、2年生が初めて立候補資格を得るということもあり、半ば人気投票のように盛り上がる。 しかも今年は、容姿端麗・成績学年トップ・スポーツ万能と3拍子そろったこの男が出馬するとあれば、もう当選したも同じだろう。 他に2名ほど写真が掲載されているが、彼と比べられるとなると、幾分か可愛そうになってくる。 写真の彼は、その意気込みからか、するどい眼差しをこちらに向けていた。 (あーあ、気張っちゃってまぁ) ユーリは苦笑いを浮かべ、その場を後にした。 予鈴が鳴り、生徒たちは慌てて教室へと駆けていく。 ユーリはその流れとは逆方向へ、裏庭のほうへと歩いていた。 もちろん、サボるために。 「さーて、どこに行こうかねぇ。外は寒そうだしな」 「ワフゥ」 相棒のラピードも口を開けば、息が白くなって寒さを物語っている。 授業を受ける気はさらさらないのだが、それでもこうしてきちんと学校に通っているのは、学費を援助してくれているフレンの両親への配慮からだった。 「だったらちゃんと授業に出ろよ!」と、口うるさい親友の声が聞こえてきそうだが。 これからは保健室の季節だなぁと、物思いに吹けながらぼんやり歩いていると、突然曲がり角から人影が飛び出してきた。 とっさに歩みを止めたものの、相手も走って飛び込んできたため、避けきれずにぶつかってしまった。 「おわっ!」 「きゃっ!」 華奢な女子生徒は、その体格差に耐えきれず2・3歩後ろへよろめくと、ぺたりと尻もちをつく。 「っと、すまね。大丈夫か?」 「は、はい。ごめんなさい。急いでいたもので....」 淡い桃色の髪をした彼女は、差し伸べられた手に気が付き、顔をあげた。 見覚えのない顔だった。 12月ともなると、学内のほとんどの生徒の顔は見たことがあるはずなのに。 思わず顔を見つめていると、彼女はちいさく首をかしげた。 「あの.....、もしかして、ユーリ...さん、です?」 「!?」 ユーリは、軽く顎を引いた。 どうして自分は彼女のことを知らないのに、彼女は自分のことを知っているのか。 もしかして、そんなに浮いた存在なのだろうか....。 頭の中で、寺の鐘の音が響く。 すると突然、その彼女が、ユーリの手を両手でがしっと掴んできた。 「えっ、何!?」 「ユーリさんっ!お願いです。助けてください!」 「はあ!?」 「フレンが危ないんです!」 突然沸いて出た親友の名前に、心臓が大きく鳴った。 「.....フレンが、どうしたって?」 訳もわからず、ユーリは走っていた。 目の前に走る、桃色の彼女を追いかけて。 親友の危機と知らされて状況を聞き出そうとしたのだが、「とりあえずこっちです」と説明もなしに走り出してしまった。 それにしても....。 (....いったいこの子、フレンとどーゆーカンケイなんだ?) 俺には『さん』付けなのに、フレンは呼び捨てだったぞ? 初対面でいきなり呼び捨てにされるのはさすがに癪にさわるが、しかしフレンが呼び捨てということは、それなりに親密な仲になっているというわけで。 しかし、彼の口からそんな浮いた話など聞いたことはなく。 (........うまいことやりやがったな、アイツ) 胸の中に起こったもやもやをどうにかしたくて、ちいさく舌打ちした。 「あ!あそこです」 やってきたのは体育館裏。 彼女は気付かれないように身をかくし、手招きをした。 同じように気配を消して様子を窺うと、10名ほどの生徒が壁に向かって群がっている。 それと対峙するように壁を背にして立っているのは、見慣れた金髪の持ち主。 「...何やってんだ?」 そして、群がっているうちの一人が、フレンに近寄った。 「ねぇキミ。生徒会長選挙に立候補したらしいじゃないのさ」 鼻につく言い方。 周りの連中も、くすくす笑っていた。 聞いているこっちも気分が悪くなってくる。 よく見ると、中心人物はひょろひょろのおぼっちゃんだが、それ以外の人物はガラの悪い連中ばかりだ。 おそらく、金で釣るなりしたのだろう。 (ちっ、くだらないことしやがって) 自分ひとりでは何もできないくせに、金と権力を振りかざして自分の思い通りに事を動かす。 ユーリが貴族を好きになれないでいる理由だった。 その貴族のおぼっちゃまは、フレンの靴をめがけて砂をかけた。 だが、フレンは顔色ひとつ変えない。 もともとその青い瞳には、冷たい色しか込められていなかったから。 それに気付いているのか気付いていないのか、懲りない口は止まることをしらない。 「だいたい、庶民の君が生徒会長だなんて。身の程をわきまえろって言ってるんだよ」 その言葉に、フレンの口元がゆっくりと開いた。 「では、生徒会長に立候補するのに、『庶民はだめだ』という規則でもあるのかな?」 抑揚のない言葉に、一瞬息を飲む。 もちろん、そんな規則なんてあるはずもなく。 返す言葉に詰まり、それでも虚勢を張って一段と声を大きくした。 「へ、減らず口を叩くな!そんなの、暗黙の了解で決まっていることだろう!!」 「『暗黙の了解』で決まっていることなら、こんなくだらないことをしなくても、結果は選挙で出ることだろう」 「っ!!!」 とうとう何も言い返せなくなり、カッとして手を振り上げた。 「口で言っても分からないなら、身体で分からせてやるまでだっっ!!」 その言葉に、待ってましたとばかりに、周囲がざわつく。 不気味な笑い声と共に鳴る指の関節の音に、その様子を見つめる彼女はいてもたってもいられなくなる。 「フレン!」 「おっと」 とっさに飛び出していこうとする身体を、ユーリは遮った。 「どいてください!フレンが」 「大丈夫だって」 「そんな、無理です!あの人数じゃ....」 「まぁ見てなって」 バキィと鈍い音とともに、低いうめき声が聞こえてくる。 だが、それはフレンのものとは違う声で。 「え....」 フレンは正拳突き一発で、相手をノックアウトしていた。 襲いかかってくる男たちを次から次へとのしていく彼の姿を、彼女は瞳をまんまるにして眺める。 瞬く間に、残りは貴族の彼ひとりになった。 「あ....、こんなはずじゃ.......」 すっかりビビッてしまったのか、尻もちをつき、がたがたと震えている。 フレンが視線を向けると、ひっと小さく鳴いて後ずさりした。 「.....君が誰に頼まれてこんなことをしているか知らないけれど、その人に会ったら言っておいてくれないか」 近づいてしゃがみこみ、顔の高さを同じにすると、鋭い視線で相手を射抜いた。 「こんな姑息な真似をしても、僕は引き下がったりはしない。戦うなら、選挙で正々堂々と戦おう、と」 そのまっすぐな視線に耐えられなかったのか、逃げるように慌てて去っていき、 またそれに付いていくかのように、倒れていた連中も逃げるように走っていった。 「.........ふぅ」 立ちあがってその様子を見送ると、突然視界に桃色が飛び込んできた。 「え.....」 「フレン!大丈夫です?」 「え、エステリーゼ様!?」 先ほどまでの鋭い顔つきはどこへ行ったのか、思わぬ人物にフレンは慌てふためいた。 エステリーゼと呼ばれた彼女は、ぺたぺたとフレンの身体を触りまくる。 「エステリーゼ様、あの.....」 「どこも怪我とかしてないです?」 「や、あの、大丈夫ですので.....」 埃で汚れた手では、彼女に触れて引きはがすこともできず。 おろおろと視線をさまよわせていると、黒い人影が目に映った。 「よっ」 「ユーリ、君までいたのか。恥ずかしいところを見られたな.....」 ユーリは、もたれていた壁から身体を放すと、フレンの側に近寄った。 「生徒会長ともなると大変だな。あんなのといちいち相手してなきゃなんねーの?」 先ほどの奴らが逃げて行った方向へ視線をやる。 「まだ生徒会長にはなっていないよ。まあ、選挙が終わるまでの間だと願いたいところだけどね」 フレンも、苦笑まじりにため息を漏らす。 「で?結局、彼女は何なわけ?」 まだフレンとの関係も知らされていない彼女のほうを向いた。 自己紹介すら行っていないことに気がついて、あっと小さく声をあげる。 「あの、私エステリーゼといいます。今日からこの学園にお世話になることになりました」 そして深々とおじぎをし、顔をあげてにっこりと笑った。 「彼女は、ヨーデル様のいとこだよ」 補足をするように、フレンが言葉を続ける。 「へぇ、あの天然理事長の」 「急に先代理事長がお亡くなりになって、若いヨーデル様が後を継ぐことになっただろう? 彼女はそのヨーデル様を補佐するために、この高校へ通うことになったんだよ」 「ふーん」 ユーリは軽く目を細めて、フレンの耳元に顔を近づけた。 「で?『お前』とはどーゆー関係なの?」 「は?」 「だって彼女、呼び捨てにしてたぜお前のこと。『フレン』って」 「なっ.....!」 何か含みのある言い方にフレンは顔を真っ赤にして、ユーリを引きはがした。 「な、何を言ってるんだ!僕の父がこの財閥関連の仕事に勤めているのは君も知っているだろ! それで、歳の近い僕が呼ばれて学校の案内を頼まれて、部下の息子にいちいち『さん』付けで呼ぶものおかしいかなと思ってそれで....」 「慌てて言い訳してるところが、あーやしー」 「もう!からかうのはよしてくれ!!」 ぎゃあぎゃあとじゃれあいを始めたふたりに、思わずエステリーゼは吹き出した。 くすくすと聞こえる声に、ふたりは動きを止める。 「あ、ごめんなさい。おふたりとも、とっても仲が良いんですね」 エステリーゼはひとしきり笑ったあと、ユーリの前に歩みを進め、右手をすっと差し出した。 「?....何」 「よろしく、って意味です」 にっこりとほほ笑まれ、ユーリはようやく意味を理解した。 そして、その小さな手に、自分の手を合わせた。 「ああ。よろしくな、『エステル』」 「.......『えすてる』?」 そう呼ばれて、一瞬きょとんとした顔を浮かべたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。 「はいっ、よろしくお願いします。ユーリ」 「ワン!」 その時、足元から声がして、視線をおろした。 紺色の毛並みを持った犬が、ユーリの足元に寄ってきていた。 「...犬?」 「ラピードってんだ。俺の相棒」 「ワン!」 エステルは、しゃがんで視線を合わせ 「ラピードも、よろしくお願いしますね」 頭をなでようと手を伸ばしたが、触れる前にふいっとそっぽを向かれてしまった。 「あ、あれぇ?」 「あはははは。ラピードは滅多な事じゃ人に触らせないからな」 その和やかな様子に、フレンも笑みを浮かべる。 その時、ある事を思い出し、腕時計に目をやった。 「ああ、もう1時間目が始まってるな。でもまだ間に合う。行きましょう、エステリーゼ様」 「あ、はい」 「ユーリ、君もだよ」 「いっ!!」 さりげなく教室とは違う方向に足が向いていたのに、フレンに襟もとを掴まれた。 「痛い!離せっ!!」 「だーめーだ。目を放すと、すぐそうやってサボろうとするんだから。 今日こそ、しっかり授業を受けてもらうよ」 「ひー!」 この二人の様子を見ていると、これからの学園生活が楽しみになってきた。 弾む期待に胸を膨らませ、エステルは二人とともに教室へと向かったのであった。 |
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