講習中の塾は生徒たちで溢れ返る。やる気をもって来ている生徒も勿論いるが大半は遊びたい盛りのやんちゃな子供たちであり、中々言うことも聞かずに怠惰に勉強を続ける者が多い。
それ故かどうかはわからないが、陰で講師たちは苦労するのだ。授業が終わっても遅くまで残って生徒のボードの整理、翌日の授業の準備やはたまた予習。掃除や事務まで色んなことをすることを、早く帰ってしまう生徒は知ることもないだろう。 フレンは夜道を早足で歩いた。塾講師のバイトをしている彼は今日、最終のコマまでずっと残っていた。その分仕事も溜まりに溜まり、もう日が変わりそうな時間帯にまでなってしまったのだ。遅くなると連絡はしておいたものの、自宅で待っている恋人のことを思うと愛しくて胸が張り裂けそうだと彼は思った――というのも、帰りが遅くなると雷が落ちることもあるからなのだが。 ある意味ハラハラしながら古びた階段を駆け上がり、フレンは先程とは打って変わってゆっくり静かに家の戸を開けた。こんな時間では寝てしまっている可能性が高いからだ。 そろりと戸を開ければ玄関に佇んでいたのは丸まってこちらを視線だけで見るラピードだった。 「ラピード…起きてたのかい」 「くぅん」 小さく返事をするかのように鳴いて、ラピードはのそりと起き上がって道を開けた。そして鼻先でリビングを指し示す。電気のついたリビングに何かあるのだろうかと、フレンはラピードの指示通りになるべく足音を立てずに向かった。ちらりと戸を開けてみると。 「…ユーリ」 そこには机に腕を枕にして突っ伏して眠るユーリの姿があったのだ。 寝間着姿であるから風呂には入ったのだろうけれど、恐らくフレンを待つつもりでそのまま眠ってしまったに違いない。暖かそうな服の袖からちらりと見えた白い肌が、冷えていそうで痛ましく見えた。 フレンはスーツの上着を脱いでユーリの肩に掛けてやり、その艶やかな黒髪に触れた。瞬時にフレンの表情が歪んだ。 「また乾かさないで寝るつもりだったのか…?湿ってるじゃないか」 真冬のこの時期に髪を乾かさず、こんなところで眠っていたら風邪を引く。恋人の心配を余所に、すやすやと眠るユーリの顔はどこか穏やかだった。寝言でも呟きそうなしまりのないふにゃりとした寝顔。思わず目を離せずにいると、口元が微かに動く。何を言っているのか、顔を近づけてみると。 「……」 フレンは不覚にも顔を赤くして溜め息を吐いた。可愛い、と脳内が騒ぎ立てるも、彼は頭を振ってその思考を追い出した。今はそれどころじゃない、明日は学校、ユーリだってバイトがある。ここで眠っているユーリを可哀想だが起こして、ベッドで寝かせなければいけないのだ。そう、だから早く。 「…むぅ、…んー…」 ユーリが身動ぎをし始めた。そして露わになった胸元に目を奪われる。寒がりのユーリにしては珍しく大きく開いている襟元は、白い肌に影を落として妖艶なものとなる。ついでに無防備な寝顔が幼く見えて、なんともいえない色気を放った。 う、と思わず声が漏れたが、本能が暴れ出そうとするのを強靭な理性が押しとどめてくれている間にそそくさと抱き上げて寝室へと運んだ。かと言って事態が好転する訳でもないのだが。 振動でユーリが目を覚ますことはなかった。余程疲れているのか、もしくは馴染んだフレンの気配を無意識に感じ取り、気を許しているのかはわからない。ベッドに些か放り投げるようにして寝かせたフレンはすぐに距離をとった。そうだった、自分はまだ着替えてもいないじゃないか。 クローゼットを開けてユーリに掛けていた上着をハンガーでしまう。二度目の溜め息を吐きながらネクタイを緩める様はどこのサラリーマンだろうかと思ってしまうが、日頃から格好いいと囃されるフレンも無意識無防備の、恋人が作る極上の寝顔を前にしてこんなにも動揺するのだと、彼のファンの誰が思うだろうか。 もう寝るからと寝間着に着替えたフレンは、風呂場に向かう前にちらりとユーリを窺った。ベッドに投げ出された手が緩くシーツを握っていて、先程まで触れていた体温がなくなったせいか、身体を寒そうに縮めていた。 ベッドにそろりと近づいて、掛け布団を引っ張り肩まで掛けてやる。横を向いているユーリの額にキスを一つ、もう乾いてしまった、それでも艶を保つ髪をさらりと一撫でしてから寝室を後にした。そんな二人の表情は穏やかに笑みを湛えていた。 幸せな寝顔 (常に互いを思ってるから、離れていたって関係ない) (どこにいたって心はいつもすぐそこに) |
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